ドMの独り言

人狼JのドMの人の独り言

ツイ廃

かつて、私は今以上にツイ廃であった時期がありました。高校2年生の頃、思春期でアイデンティティの確立に腐心していた私は、ひとつの帰結にたどり着きました。それは、【Twitterのフォロワー数=社会的地位】であるという、軽薄かつ愚昧なものでした。本当に赤面するくらい恥ずかしい。


これを語る上で、もうひとつ知って欲しい事があります。それは、私はオタクであることは、そうでない人よりも優れているとも思っていました。そう信じてやまない私はアニメに傾倒していました。今では抱腹絶倒するしかありません。


当時の私は白痴でした。今でもそうかもしれませんが。そのため、私はひたすらにTwitterのフォロワー数を稼ぐ作業をしていました。そのノウハウは、【#RTした人全員フォローする】系のツイートをRTしている人をひたすらフォローするというものでした。基本アニメ用にアカウントを作ってる人は、この方法でフォロワーを稼ぐ事ができると思います。


【#RTした人全員フォローする】系のツイートをRTしている人は、基本的に相互厨であることが多いです。なので、自発すればかなりの確率でフォローバックされます。この方法で、私はフォロー規制がかかるまでひたすらフォローしていました。ただ、全員がフォローバックしてくれる訳では無いので、【片想いチェッカー】の様なものを用いて、相互フォローしてない人をリムったりもしていました。


そうして、いつしかフォロワーは8000人に膨れ上がりました。これはかなり自慢になり、高校でTwitterのアカウントを見せびらかすと、みんな驚いてくれます。承認欲求が頗る強かった当時の私にとって、それは快感以外の何ものでもありませんでした。

ただ、弊害もありました。タイムラインが渾沌とした状態となり、当時仲良くしていた人のツイートが流れてくることが少なくなり、疎遠になってしまったのです。これは非常に誤算でした。悔しい。


そんな私も少し大人になり、フォロワーが多くても決して社会的地位が高い訳では無いということに気づきました。そもそも、例えば私が街中で「俺フォロワー数8000人!」と叫んでも、見向きもしないでしょう。こんな単純なことに気付かず、アイデンティティの確立に生き急いでいた私は、ただただ無為に時を食んでいただけだったのです。


そうして、このアカウントは黒歴史及び自戒のために残しておくことにしました。Twitterは便利なツールで多様な使用方法がありますが、私のような軽薄な理由で相互厨に成り下がってしまわないことをオススメします。

友達ごっこ

パソコンを友人に渡してしまい、正直書く気が無いのですが、何となく友人について書きたくなったので、書こうと思います。


便宜上、彼の名前を仮に「秋生」とします。秋生とは、高校来の友人で私の1番の理解者です。大学は別になったのですが、近くの大学に通っており、お互い実家暮らしなのでよく遊んでいます。


秋生はいわゆるメカオタで、特にパソコンについての知識に長けており、私が使っているPCも彼が組み立てくれたものです。高校の時から頭脳明晰で頭がキレ、かなり尊敬していました。


彼は理系だったのですが、とあるきっかけがあって友人として付き合いが始まりました。それがスピッツです。スピッツといえば、「チェリー」とか「ロビンソン」のイメージが強いと思いますが、彼は恐らくわたしが通っていた高校で、「漣」や「孫悟空」という曲名が唯一通用する人だとおもいます。趣味が同じということで、すぐに意気投合しそれから彼とはよくカラオケに行くようになりました。


そして、いつの間にか親友と呼べるほどの仲になりました。恐らく、暗黒の中学生時代ではこの出会いは考えられませんでした。中学生時代については機会があればまた記事を作ろうと思います。


そんな彼ですが、実は私の性癖を知る唯一の友人でもあるのです。私が前の彼女と別れた際、とても慰めてくれました。落ち込む私に暖かい言葉をかけてくれたり、気晴らしに遊びに連れて行ったりしてくれました。ほんとに彼には感謝しかないです。


ただ、心配なのが預けたPCの検索履歴だけは見られたくない。あれはまずい。勘弁して欲しい……。


ともかく、秋生は私の数少ない親友と呼べる人物の1人です。私の友人観(?)では、友人の種類は親友か友達(仮)というふうな構成になっています。親友とは、利害関係を超越した関係。友達(仮)とは、利害関係のみで成り立っている関係であると勝手に定義しています。


私の友人の圧倒的多数は、友達(仮)です。面倒臭いので、以外は仮と表記します。仮とは、例えば講義の資料をやりとりしたり、大学の講義で仕方なく知り合ったりなど、色んな人がいますが結局は利害関係でのみしか成り立っていません。たまに遊びに行ったりもしますが、秋生と遊んだ方が、10000倍楽しいです。


仮とは、浅く広くを心がけており絶対に私のボロを出さないようにしています。人を簡単には信用していけないことは、中学生時代に痛いほどに学ばされました。しかし、その経験があっても秋生には絶対の信頼をおいています。仮なんかよりも、よっぽど有機的で有意義な繋がりだと思います。


ただ、秋生は大学が忙しいそうで、最近はあまり遊べていません。正直、パソコンの修理も申し訳なかったのですが、「お金もらってるし、焼肉も奢ってもらってる。責任を放棄する訳にはいかない」と言ってくれて、快く修理を引き受けてくれました……。時間があれば、必ずまた焼肉を奢りたい……。


いいオチがなくてバツが悪いですが、これで終わります。読んでくださり、ありがとうございました。

M

今回は、私の性癖について書こうと思います。

 

皆さんご存じでしょうが、わたくしは性的倒錯を持っており、SMでいうところのMに当たる性癖を持っております。要するに、いじめられると喜ぶということです。というより、わざわざこれを読みに下さる方には、説明は不要でしょうが…

 

きっかけは、大学1年から今年の春まで交際していた女性の影響です。その女性は私とは正反対のSの性癖を持っており、私が調教されるという形になりました。プレイの内容としては、私の秘部を足で踏まれたり、目隠ししてあんなことやこんなことをされたりなど、語るにはあまりに多すぎます。ただ、大変楽しいとは感じていました。もちろん、交際をしていたのはプレイではなく、本当に彼女の人柄に惚れていました。それが彼女にとっては重く感じたようです。悲しい。はあ。つらい。

 

私の性癖は、屈辱や羞恥を受けると性的興奮を覚える、というものです。なので、例えば根性焼きのように、体を傷つけることを主たる目的としたプレイは、受容しがたいものがあります。ただ、鞭でシバかれるのは、興奮します。あれはやりすぎなければほとんど傷が残りませんので。ただ、根性焼きで興奮を覚えてしまうような方には、正直私も驚きというか、有り体に言えば「ひいて」しまいます。よく私の性癖でひくような方がいらっしゃいますが、私なんて可愛いものですよ。ええ。

 

ただ、人格否定や過去のトラウマを想起させるような言動は、興奮できないですね。例えばシカト。これは経験ある方ならお判りでしょうが、かなり精神的に応えます。自分という存在の認知を拒まれるわけですから、すなわち「自分は生きていては言えない存在」であると錯覚を覚えてしまいます。なので嫌いです。あとは、嫌なあだ名。いきさつは覚えてないのですが、罰ゲームか何かが原因でその当時はやっていた、きゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」という曲を歌わされました。しかも、裏声で。そこから私のあだ名は暫く「つけま」になりました。これも精神的に応えましたね。

 

というように、一概にドmといっても、ただいじめられれば良いのではなく、人に合ったドMのスタイルがあります。私は、ごみのような扱いを受けるのが好きなだけなので、身体的苦痛は受け付けられません。無理。却下。さようなら。

 

あと、友人から聞いた話なのですが、世の中にはドM専用の風俗店(調べてみたのですが、「M性感」というらしいです。)が存在するそうです。私は行きたいとは思いませんね。なぜなら、私の顔を踏むのは、私が愛する人のみであると決めているためです。

真夏の夜の(淫)夢

今日は、最近見た夢を覚えている範囲で書こうと思います。

 

夢の中で、私はツイッターの質問箱をいじっていました。あ、リアルのアカウントです。すると、内容はよく覚えてないのですが、痔に関する質問だったんだと思います。

 

私がそれに回答した刹那、私のフォロワーの一人である〇〇〇コ君が、突如としてアカウントに、「特定完了wwww」的なリプを送ってたんです。マジでビビりました。多分その直後に起きたと思います。本当に焦りました。

 

ただ、別にリア垢がばれても、私の本名が透けるだけなので、特に問題は無いですね…考えてみれば。

禁酒

予告通り、今日を境に禁酒をしようと思います。そもそも、なぜ私があそこまで狂気的にお酒を飲むようになったかという経緯についてお話します。

 

原因の一番は、やはりうつ病です。うつ病を患ったことがある方はお判りでしょうが、うつ病になると、常に背中に漬物石を乗せられているかのような、倦怠感。何事にもやる気が起きず、ぼーっとする毎日。音楽聴いても、何の感情の変化もありませんでした。

 

そんな憂鬱を晴らせる唯一のものが、お酒なのです。お酒を飲むことによって、それらの倦怠感、無気力が忘れ去られてしまいます。私は、お酒が入るとかなり饒舌になってしまうそうなのですが、まだ通院し始める前の私は相当やばかったそうです。(両親談)。

 

そして、通院を開始し始めると、当然お酒のことを主治医殿に指摘されるわけですが、そんなのお構いなしに飲んでしまいます。ええ。もはや、これは逃れられぬカルマなのです。しかし、通院は母と同行したため、母も向こう側の人間です。そのため、しばらくはコンビニで酒を買って、その場で飲んで帰るという、中年のおっさん的行動をしてしのいでいました

 

そして、転機が訪れます。それは、血液検査をした際に起こりました。血液検査の結果、尿酸値だけが基準値を大きく上回っていたのです。正直、これには驚きました。私自身、節度を以てお酒を飲んでいるとそこまでは認識していましたが、それは大きな誤りで、なんと常識の範囲を超えて飲んでしまっていたのです。

 

正直この診断結果には、大きなショックを受けました。うつ病は好転しつつあるのに、私の尿酸値は…。そう思った結果、減酒しようと試みましたが、結果は皆さんがご存じのとおりです。人間は、自らの習慣を変えるには、大きなきっかけが必要であるということは、言うまでもありませんが、そのきっかけは「禁酒に失敗すると女装をプロフィール画像にする」というものです。

 

正直、自己満足で女装するのみならまだよいのですが、その女装を皆さんに公開するとなると、少し躊躇いはあります。でも、多分興奮します。はい。それは間違いない。ただ、私の理性はそれは危険だと注意喚起しております。なので、絶対に失敗するわけにはまいりません。必ずや、禁酒を成功させたいと思います。

塾講師

私とよく遊んでくださる方ならご存じでしょうが、私は塾講師のアルバイトをしております。

 

きっかけは、私が小学校2年生の頃からそこの塾に通っていたためです。初めは私に務まるかどうか、懸念しておりましたが、現在ではそこそここなせており、満足しています。

 

最近、私は年下に好かれる才能を持っていると同時に、なめられることも多いなと思います。ある中学生は、私のことを「陰キャ」「高須クリニックで整形1000万円」などと呼んできます。正直、ご褒美なのですがこれは何かを教える立場の者として、教育すべきではないかとも考えます。

 

また、生徒と雑談をするのですが、最近の中学生が言っていることのほとんどを理解できてしまうのです。要するに、私の精神年齢は中学生の時を境に止まってしまっているのではないか、と考えてしまいます。

 

この仕事をする上では、生徒との距離が近いことはいいことなのでしょうが、正直私の場合、近すぎるのではないかとの懸念があります。現在塾長には指摘されていないので、常識の範囲は逸してないでしょうが、なんとか現状を変えなければならないとの認識は当然持っています。

 

 

ですが、一度私についた印象を塗り替えるのは非常に困難を極めることは容易に想像できます。このままのスタンスで続けていくべきか、はたまた生徒には厳しく接していくべきなのか、正直結論を出せないままでいます。何が最適解なのでしょうか。よくわからないですね。