ドMの独り言

人狼JのドMの人の独り言

「頭がいい」とは

私は、よく「頭がいいね」と言われることがあります。それ自体は別に何とも思わないし、むしろお褒めに与り光栄なのですが、時々「頭がいい」というのが私にとって不快になることがあります。

 

まず、前提として私はいわゆるIQが高かったり、人より秀でた記憶力を持っていることは決してありません。むしろ、人一倍頭は悪かったです。また、中学校時代の経験から、「誰かを見返したい」という思いが強く、それが私を勉強するという起爆剤になりました。

 

そうして、私は努力をして高校に行き、大学へ行きました。両方とも第一志望ではありませんでしたが。ここで問題になるのが、よく「どこの大学に行ってるんですか?」と聞かれる場面に出くわすことがあると思います。その際、特に秘匿する事由がなければ「〇〇大学」と所属している大学を教えることはしばしばあると思いますが、その際相手の返答が「へえ、頭いいんだね」との反応だと、本当に頭に来ます。

 

まず、先の発言には、「私が努力した」という事実が捨象されています。私はバカにも関わらず、人一倍努力して成績を一生けん命上げてきました。ですが、所属する大学だけを私の頭脳の判断基準にすることは、私の人生そのものを否定された気分になります。ネット上では大学名等を明かしていないので、こういったことは発生しないのですが、現実世界だとたびたび起こります。辟易するくらいに。

 

そもそも、私が真に「頭がいい」のであれば、あの数学の出来の悪さはあり得ません。私は、負けず嫌いな性格のため、苦手科目である数学の克服に力を入れました。しかし、私は頭が悪いのでそれを克服することはできませんでした。

 

このように、私の血みどろの努力に一瞥もされず、目先の結果だけ見て結論を出されるのは、まったく許容しがたいです。「頭がいい」と「勉強ができる」は、私は同列視できず、分別されるべきであると考えています。というよりは、そんなことを許せない私の心の狭さのほうが問題のように思えてきました。